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南魚沼で側弯症、膝・腰などの整体なら ナオミ整体室!

「田植えや農作業で体を酷使してしまった方」「他店で改善しない痛み」「手術を勧められ、迷っている方・避けたい方」・・そのままにしないでください。

腰痛・ぎっくり腰・椎間板ヘルニア・側弯症・脊柱管狭窄症・O脚といったお悩みの根本改善をモットーにしています。ご不明なこと、ご不安がございましたら、お気軽にご連絡ください。

元横綱 白鵬さんの整体をさせていただきました。

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※ここから下の↓↓文章は、私の紹介・エピソード・思いなどで、少し長くなります。
飛ばしていただいても結構ですよ。(でも、時間のある方はみてください)

膝が痛くて曲がらなかったお客様です。

冬のこぐりやま山荘周辺
ドローンで撮影

そのお客様は、雪の中を来てくださいました。以前から、膝の不調があり、自宅にほど近い所の整体に通われていましたが、その整体室が閉鎖となってしまい、どこか代わりに良い整体室がないかと探されていらっしゃったそうです。そうした中、ご主人様がFacebookで当整体室を見つけられ、電話で予約をされ、奥様を連れてきてくださいました。奥様は膝が痛いため、歩くのが辛そうで、階段を上ることはできませんでした。
エレベータに乗ってまずはご夫婦で温泉に入っていただき、体を温めていただきました。・・・その後奥様は整体室へ、

階段の昇り降りが出来るようになった! スゴッ!と驚く

約60分の施術をさせていただきました。最初に体のどこに痛みがあるのかお聞きし、日常の生活スタイルや、直接の原因と思われることなどを伺い、次に体の3大指標を中心に体のチェックをせていただきます。

それから施術に入ります。施術は、DRTと言って背骨にアプローチをする方法です。これは骨盤や自律神経も同時に整えることができます。その結果、筋骨格で起きる症状と、内臓の症状のどちらにも効果が見られます。

治療の後、「ナニナニ!?体が軽くなった。足が上がる!」と、嬉しくなったようで、ご主人が待っている3階へと、トントンと階段を上って行かれました。

私、高橋 尚美です

『みなさんこんにちは、ナオミ整体室の高橋 尚美です。2020年の11月に神奈川県横浜市から移住してきました。南魚沼、大好きです。整体師として20年、様々な方々に施術をさせていただきました。南魚沼市は、コシヒカリの米どころ、農業機械があるとは言っても、人が直接やらなくてはならない仕事もたくさんあります。
特に、女性の方は、それ以外にも山ほど仕事があります。そんな方々を一人でも多く、疲れを癒し、痛みを取ってあげたい。そう思っています。』

ナオミ整体室は「こぐりやま山荘」の中にあります。

こぐりやま山荘とは、六日町温泉の源泉かけ流しのお風呂がある宿泊施設で、私は、この宿の「おかみ」をさせていただいてます。2021年の暮れごろからオープンしていますが、もともと旅館業で働いた経験はなく、本当にお客様が宿泊に来ていただけるのかどうか、また、コロナで人々の外出や、移動も制限されている中、商売をやっていけるのかどうかと思っていました。・・でもやれることを一生懸命やっていくしかないですよね。

こぐりやま山荘外観

こぐりやま山荘は上ノ原公園にある温泉宿です。お風呂場と整体室が同じフロアーにありますので、温泉に入って整体をいたしましょう。整体の方は温泉無料です。

田植えと稲刈りを経験しました

昨年の6月、ある方の紹介で、田植えを経験させていただきました。最初はワークマンで買った長靴を履いて、田んぼに入り苗を植えましたが、途中長靴が土にはまって抜けなくなったので、長靴を脱ぎ、裸足でやりました。何とも泥の感触が、たまらなく気持ち良かったです。

実際は朝から始めて、昼には終わる程度の量しか苗を植えませんでしたが、爽やかさと、疲労とが入り混じった感じで充実感でうれしい気持ちでした。

でも、ふと思うことがあります。それは、米作りをしている方々は、何町歩も土づくりから収穫までと桁違いの作業量、体を酷使することも多いだろうな・・と

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整体で出会ったOさん、忘れられない出来事

横浜市で整体室をしていたころ、定期的に通っていただいた方がいました。Oさんという60代後半の女性で、人工透析を受けられてきた方です。何度も通ってきていただく間に仲良しになり、お互いに、いろいろな話をするようになりました。そして休日には小旅行に一緒に出かけたりとか・・今も思い出すと涙が出ます。

息子さんがハワイで挙式・・一緒にハワイへ

seashore and green palm trees scenery

Oさんには息子さんがいます。息子さんと奥さんは先に入籍はしていたのですが、いずれハワイで挙式をしようと、家族で話し合いをされていたそうです。

そして、みんなでハワイに行くときが来ました。Oさんは、「きっと海外もこれが最後かな~」と言っていましたが、お医者さんからも、今なら海外に行っても大丈夫と言われので、約1週間ほどの予定でハワイに行かれました。

私に「心配いらないよ、大丈夫だから」と言って出かけていきましたが、環境が変わって大丈夫だろうか心配をしていました。

『無事に帰ってきたよ』との連絡をもらった時にはほっとしました。

ハワイに出かけて行って10日を過ぎくらいに「無事に帰ってきたよ。すごく楽しかった。」と電話をくれました。金曜日のことでした。

でも、その3日後の月曜日に再び電話がかかってきました。Oさんの電話番号だったので、私は、元気よく「もしもし~」と出たのですが、電話の声は息子さんの声でした。

「今日母が亡くなりました。」との連絡でした。息子さんは、母親の携帯電話に登録してある私の携帯番号にOさんの携帯電話から連絡をくれ、お知らせくださったのです。
私は、とつぜんのことで唖然としてしまい、声も出ませんでした。

それから約1年後の、Oさんの一周忌が廻ってきた頃に、息子さんご夫婦には女の子が生まれました。
息子さんから連絡があり、「新潟の尚美さんのところに、家族みんなを連れて行きたいのですがよろしいですか」と
しばらくしたのちに、息子さんご夫妻と赤ちゃんの3人で宿泊に来ていただきました。

息子さん夫婦は、「この子を母の生まれ変わりと思って大事に育てます。」と言っておりました。また、お願いがありますと言うので、何かと聞いたところ、「母がいつも受けていた整体を、僕にも是非受けさせてください」と言われ。、私は胸がグッとこみ上げてきて、すぐに返事が出来ませんでした。いろいろな思い出の中、息子さんに整体をしていると、確かにOさんもここに来ている。と感じました。

自分の体を使って、母親に整体で追善をする・・こういった追善の仕方も、人間の心には起こるのだ、と感慨深く思っています。

整体から一時身を引いていました。

その頃すでに、世の中はコロナ騒ぎ・・Oさんが亡くなった喪失感やよくわからないコロナの騒ぎ、テレビでは、毎日その番組ばかり。気持ちが落ち込み整体から少し身を引いていました。宿の経営やら何かと忙しく、整体をしていく気力が出なかったのです。

南魚沼に来てから

私たちが南魚沼に移住して来て早々に大雪となりました。2020年12月14日から降り始めた雪は、関越自動車道上に2000台以上の車が立ち往生と、全国ニュースで報じられ、豪雪地帯はすさまじいなと思いました。横浜の知り合いは、「大丈夫なの?」と次々と電話やLINEをくれました。それから雪に囲まれ、知人も友達も誰一人いない南魚沼で、いろいろな思いや、考えを熟成させてきました。

思えば、あっという間の1年半、2回目の冬も大雪でしたが、その間仲良くしてくれる仲間もたくさん増えました。またこの地域の事情もだんだんと分かってきました。特に感じたのは、この地でも、働く女性は皆、大変なんだということです。私にできるのは、そんな彼女たちの仕事や生活がしやすくなるように、痛みを取り除いて差し上げたり、体力が維持できるように体のサポートをして差し上げることなんだと改めて感じました。

整体ッてどんなものですか?

私が整体師になったきっかけは、以前、不動産の賃貸の営業をしていた時期があり、開業するための店舗を探しに来られた方との出会いからでした。まだ、世の中にはあまり「整体」という言葉が一般的ではなかった頃です。(その方のことは、今でもE師匠と呼んでいます。)
ある日私は、「整体ッてどんなものなのですか?」と尋ねました。すると「まずは一度、整体を受けに来てみて!」の一言で、ある日仕事が終わって、受けに行きましたが、衝撃を受けました。「自分の体がこんなに軽くなるなんて・・・」
それからは、体がだるく、つらくなると整体を受けていました。2~3回整体を受けに行った頃から、E師匠の口癖は、「あなたは整体師に向いているのよね!」と、行くたびに聞かされていました。そのうちに自分も「そうなのかな?」と、だんだんとその気になり、師匠の勧める学校に行くことになりました。
学校を卒業後は、師匠のところで修行させてもらい、一年後、師匠のお墨付きを頂き開業することが出来ました。

私の青春時代

私は19歳のころから8年間母の介護をしていました。当時はまだ、いろいろな介護制度もなく本当に大変でした。母はとても活発で元気な人でしたが、血圧が少し高めで、健康診断ではいつも注意されていたようです。
ある日、パート先で突然倒れ病院に搬送され、病名は「脳血栓」でした。右手足に麻痺が残り、4年間は杖を使っての自宅療養となりました。そうした生活が始まって、さらに4年後に再発をしました。今度は寝たきりとなり管をつながれた状態での病院生活となりました。
お見舞いに行くたびに手足などを擦ると、話ができない母の、うれしそうな表情がとても心に残っています。きっとその時の思いが今でも忘れられないからこそ整体の道に進んだのかもしれません。

私の決意と抱負

これから私は、整体師となるきっかけをくれた母との思い出を胸に抱きしめながら、皆さんと語りながらもっともっと「人」らしくなっていきたいと思います。ですので、皆さん、是非是非、私の整体を受けてください。
体がつらくなったら、是非私を頼ってきてください。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

※最後までお読みいただきありがとうございます。
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